島へ。
おはようございます。ご無沙汰です。唯一の島マガジン『島へ。』3月号(2月1日発売)に、私の特別寄稿が載りました。
以下がその原稿です。
『島へ。』特別寄稿 1.5ページ
表題 「伊勢湾口道路の光と影」 三重県議会議員 中村 勝
サブタイトル ~常世の島に架ける橋~
日出づる島々、常世の波寄せくる島々
伊勢志摩は神代の昔、伊勢島といった。伊勢の国の内にあって、島々が多くあるところを分けて島(志摩)国としたものである。天照大神がこの国におりたいとした『伊勢の国は、常世の波の重浪帰する国なり、美(うま)し国なり』という理想郷である。その神宮に対して日出づる処、常世の波の寄せてくる処が伊勢島・鳥羽の島々である。
伊勢湾をわが国最大の内湾にしているのは、愛知県渥美半島と三重県志摩半島が湾の口をキュッと閉めているからだが、さらにその対峙する半島に沿って鳥羽の坂手島、菅島、神島が縦列に、菅島と答志島が並列し、まるで湖のような波静かで閉塞した伊勢の海を形づくっている。
鳥羽の島々は、気候温暖にして、北の島々のような過酷な季節はない。また、南の島々のようなはるかなる距離感もない。本州太平洋側のど真ん中にあって、産卵や食餌のため伊勢湾に上り下りする魚影が島々の間を抜け、島民はその海の恵みを受けて豊かな社会を築いてきた。この島々の一つ、神島は三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台であり、吉永小百合や山口百恵の主演などでこれまで5回映画化されて脚光を浴びた処でもある。神代の昔から、そして今もなお日出づる処、常世の波寄せくる処、いかにも恵まれた島々である。
伊勢湾口道路の光と影
今から46年前の東京オリンピックが開かれた年に国連ワイズマン調査団が名古屋にやってきた。中京圏の開発計画について調査をするために招かれたのだが、その報告書で「第二東西道路して渥美半島と鳥羽を結ぶ道路をつくることが必要だ」と提唱された。
それ以来、伊勢湾口道路は、全国総合開発計画に本州四国連絡橋、東京湾横断道路に続く海峡横断プロジェクトとして位置づけられた。この道路は、鳥羽の離島を橋脚の一部としながら伊勢湾口部を長大橋で結び、静岡県西遠地域や長野県南信地域、愛知県三河地域と三重県伊勢志摩地域を結ぶ太平洋新国土軸構想の一翼を担う国家プロジェクトであり、気象観測やボウリング調査も行われ現実味を帯びてきていた。
この構想に対して鳥羽の島々は、漁場破壊につながるなどとして反対の立場であった。しかし、高度経済成長に伴う伊勢湾岸海域の埋め立て、工場からの排水等による伊勢湾汚染が進み、伊勢湾漁業が衰退していく中で容認に傾いていった。
伊勢湾口道路は鳥羽・小浜半島から答志島を通り、その先の島嶼群を経て神島、伊良湖岬へとつなぐ答志島ルートと鳥羽・安楽島から坂手島、菅島を通り、その先の暗礁地帯を経て神島、伊良湖岬をつなぐ菅島ルートとが考えられるが、今日においてもルートの決定はない。菅島ルートであれば、4つの有人離島のうち神島、菅島、坂手島は湾口道路でつながることになる。しかし、湾口道路にとって、島々は橋桁としての有用性はあっても、離島性を解消することが目的ではない。第二国土軸という物流の大動脈が島の人々の生活を気遣うはずもない。
2008年春の「道路国会」で海峡プロジェクトは完膚なきまで叩かれた。そして、伊勢湾口道路は、国土形成計画・全国計画や中部圏広域地方計画で大きく後退した。昨年夏の総選挙では、「コンクリートから人へ」を掲げる民主党が政権を奪取した。
私は、伊勢湾口道路は夢の架け橋だと今でも思っている。いつかはわからないが、その時が来ると思う。しかし、この構想のおかげで離島架橋が実現しなかったことも事実である。島民にとっては巨大プロジェクトに翻弄されてきた。物流の大動脈である伊勢湾口道路と生活道路としての離島架橋は、高規格道路と生活道路という全く性質が違うものである。それを同一視してきたことが誤りであった。
生活道路として答志島架橋
どこの島々でもそうであるように、周りを海に囲まれていることから、泥棒などの犯罪者は船でやって来なければならず、また、船で逃げなければならないことから、そう簡単に島の家には泥棒に入れない。したがって、島では施錠する習慣がない。寝る時も、外出する時も玄関の戸は海に向かって開け放たれている。島が橋でつながると、その橋を通って泥棒がやってくるから、鍵をしなければならなくなる。鍵は面倒だから架橋には反対だという牧歌的な反対意見が以前はあった。
しかし現実は、少子高齢化や人口減少が著しい。豊かな自然、水産資源、歴史と文化を持ちながら、このままでは島に住む人々がどんどんいなくなり、伝統ある祭やコミュニティを維持できなくなると考える風潮に傾いてきた。何よりも島々が鳥羽市や三重県の末端と化し、今の定期船が維持できなくなると、末端細胞のように壊死してしまう。そうならないように、鳥羽の島々の中で面積と人口が最大である答志島に橋を架けようという機運が高まってきた。橋を架けることで、伊勢湾漁業の最大拠点をさらに充実拡大し、離島観光交流の一大拠点にしたい。そして、島の歴史・文化の発信拠点として答志島を中心に鳥羽の島々の海上交通も循環させ、環伊勢湾地域全体に恩恵を与える拠点となりたいと思うようになった。伊勢湾口道路を待っているわけにはいかない。伊勢湾の恵みと島々の恵みを伊勢湾岸地域に常世の島からの贈り物として届けるために答志島架橋を実現したいのだ。
昨年10月20日、三重県議会で「離島架橋の早期実現を求める請願」が全会一致で採択された。12月3日にはこれを受けて、私が一般質問に立った。答志島から110人の人々がはるばる県議会へやってきて傍聴した。知事には強い圧力になったが、答弁は満足いくものではなかった。知事は「架橋には多大の費用がかかり、国の補助金に頼らざるを得ない。しかし国は政権交代し、『コンクリートから人へ』を打ち出している。ハード事業に抑制がかかるかもしれない」と逃げた。私は、県が答志島架橋を国に対して手を挙げるかどうかの決断を迫っている。国に手を挙げてから国がどうとか、こうとかいうのが筋ではないか。離島架橋は、人口が143万人の長崎県で24本架かっている。人口186万人の三重県が1本も架かっていないのはなぜか。知事に説明責任があるのは明白だ。
答志島架橋は、鳥羽市議会でも昨年の12月に請願が全会一致で採択された。長い道のりかもしれないが、答志島から本土まで一衣帯水の海峡に踏み出したことだけは確かなようだ。「国民の生活が第一」の民主党政権下だからこそ、架橋の実現を強く望んでいる。
Posted: 2月 1st, 2010 under まさる日記.
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