くしもと大橋
おはようございます。3月もきょうで終わり、あすからはいよいよ4月です。ガソリンはどうなるのですかね。雨が降っています。低気圧が潮岬の南の海上にあって発達中です。あすの夕方には三陸沖に達して958hPaが予想されています。爆弾低気圧です。雨は午前中に上がり、晴れてきますが、北西の風が強いでしょう。
1)大島
木金と鳥羽から240kmも南にある紀伊大島へ行ってきた。離島に橋が架かる最も近い島だ。1999年9月に開通した。潮岬に通じる県道から大島との間にある苗我島まで鯛などの養殖場をつくるのに波を静めるために堤防が以前から農水省の事業で造られていた。その堤防をかさ上げして苗我島をループ橋で登り、苗我島から大島までアーチ橋が作られた。大島には航空自衛隊レーダー基地があり、そこまでの島内道路も含め、110億円の費用を要した。1981年の大島架橋促進協議会の設立から着工まで8年、着工から完成まで10年を要している。架橋が実現した要因を調べると、和歌山県内で唯一の離島であったこと、仮谷志良和歌山県知事(当時)が串本出身であったこと、道路族議員として名高い二階俊博衆議院議員の選挙区であること、大島に航空自衛隊レーダー基地が存在すること、鯛の養殖などが好調であったことなどだ。
2)島の宿
島へ渡ってちょうど4時前、宇治山田商業の試合を見ながら、民宿を探したが中々見つからない。大島港の岸壁に停車して、テレビを見ていると山商は1-3で負けていて9回の表へ。そのまま福田総理の記者会見を見た。どうせ負けているだろうと教育テレビへ代えると何と、逆転さよならではないか!島の宿は何とか見つけたが、客は私一人。ヨコワの刺身をご馳走になりながら、宿主のおばちゃんに橋ができてからの生活などを聞いた。港などでも住民にインタビューしたが、架橋後の島は余り芳しくない。巡航船とフェリーの時は1時間に1本の船便があったが、今はバスで日に5本しかない。防犯上物騒になった。ごみや死体までほっていく。少子高齢化、人口流失に歯止めがかからないなどなど・・・。車が運転できる人は便利になった。観光客がたくさん来るようになった。急病の時は、救急車が玄関まで来るなどなど。島の人口は、わずかに1200人。答志島は2600人だ。本州最南端、ここは地の果て、その地が果てた海の上に浮かぶ最果ての島・大島。単に橋が架かった程度では本当によくならないのかもしれない。「そこに住む人々が立ち上がり、自らつくっていかない限り、本当によくなることはない」。改めて、宮本常一の言葉をかみしめた・・・。
Posted: 3 月 31st, 2008 under まさる日記.
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